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 本日の博物館学の授業は神社の建築様式についてのものでした。
 普段は睡魔との闘いに明け暮れている京佐さんも、本日ばかりは違いましたよ。
 我が祖国についにスポットライトが……!(噛み締め)
 しかしまあ大社造や隠岐造はともかくとして、中山造まで出雲の系譜を引くとは……ありがとう尼子晴久!
 やっぱりほら、権現造だとか吉備津造だとかハデでデカけりゃいいってもんじゃないんですよね。
 そもそもの祭礼の場としての意味を忘れた神社なんて魅力が三割減ですよ。
 江戸時代の人にはその辺り肝に銘じていただきたかったものですね!
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 図面締め切り、本日。
 考古学概説テスト、本日。

 がんばりますよ、うん。


 先日の考古学講義にて我が故郷が大変ピックアップされていて内心ドッキドキでした。
 王陵の丘、みんなで行ったものですよ……(遠い目)
 そんなわけで、ちょっと里心が付きました。。

 しかし先生、確かに山陰地方の古墳はちょっと特殊かもしれませんけどそんなに連呼しなくていいじゃないですか!
 同期の友人達の生ぬるい視線が切なかったです。
 ええ確かに最先端の古墳スタイルとは全く別方向に突っ走ってる感はありますが、それは昔の出雲人であって京佐ではありませんからね!(涙)

「日本のカミサマはモバイル」

 とは、日本史の先生の言。
 分霊や神輿などで動かすことの出来る神霊であると認識されている、ということなのですが。。
 モバイルカミサマ……なんだかきゅんときますねえ。
 ケータイにインストールして連れ歩きたいですよ(やめとけ!)


 はちべえちゃんよりバトン受け取りました。 
 今度お答えさせていただきます~

 かわせちゃん、メッセージありがとうございましたv
 一角紀はプロットがなんとか練りあがりそうでほっとしてます。
 問題は執筆する時間が……(遠い目)

 院生の方々と一緒の勉強会で、もうすぐ発表なのですよ。
 とりあえず選んでいる題材は祭祀です。本当に分かり易いヤツですね。
 宗教文化の変遷の過程とか、遺物から空想するのって楽しいんですよねえ。
 悲しいことに空想の域を出るのがとてつもなく難しいというところが問題ですが。。
 呪術とかのオカルトを調べるのも好きです。
 道教思想やら錬金術やら、あそこまで複雑化するのにいったいどんな要因があったのやら。

 ただし、京佐は宗教全般やらオカルトやら精神系やらをさっぱり信じてはおりません。
 陰陽五行思想についてがっつり調べこんでも、別に実生活に風水を取り入れたりすることは全くありません。
 神話やら神社やら好きですが、カミサマを指名して本気で祈ることなんてないです。
 スピリチュアルなんたら~とかナチュラルうんたら~とか、見るだけで逃げたくなります。
 だから頼むから来ないで下さい、宗教勧誘の人!
 いい加減言い訳も尽きましたよ……
 塩でも投げつけてやりましょうかねえ。(お守り然り、柏手然り、ジンクスや文化に根付く風習は体から抜けないので致し方ありません)
 特に多いのがキリ○ト教系と○蓮さん関連の人達です。
 時々宇宙人がどうたらこうたらという人も現れます。
 一回断られたらちゃんとリストにチェックしておいてくださいよ!
 同じ団体の違う人が何回も来るじゃないですか!
 別にその人たちに信じるなとは言いませんが……

 科学至上主義ではないですが、やっぱりアプローチは科学的じゃないとだめですよねえ。

 アジア史の授業で、唐代の女性の俑には男装をしたものがあるというお話を聞きました。
 先生は武則天の出現という歴史的事象とからめ、「唐の女性は元気だった」という風に説明なさっていましたが……ううむ、私的にはそればっかりでないような気がしてしまいました。
 男装、あるいは女装というのは(女性解放運動家の男装など社会的批判の意思によるものを別として、とりわけジェンダーが明確であった過去においては)やはりどこか倒錯的なものに思えます。
 白拍子やら歌舞伎やらと同じで、こう、爛熟と退廃を感じさせるというか。
 しかし神話にも異性装の例が多かったりするのは面白いですね。
 そういった意味では、異性装というのは人間が根源的に好むモチーフの一つであるのでしょうか。
 怪しげな成年向けビデオの広告やら二次創作の分野やらで見かける同性愛のモチーフも、同じところに端を発する嗜好なのかもしれません。
 人物を実際の性別そのものでとらえるのでなく、異性装や同性愛といった要素を取り入れることで両性化しているように思えます。
 ギリシャ神話的に言えば、もう一度人間をアンドロギュノスに戻そうとしているということでしょうか。
 自らは異性装者、あるいは同性愛者でないにも関わらずモチーフとしてのそれらを好むという傾向について、どなたか研究してないんでしょうかねえ。
 心理学的にも社会学的にも面白いと思うのですが。。
 まあ、前述の男装俑については、それほどジェンダーが明確ではなかった社会だったのだとも言われてるんですけどね。

 ところで自分自身はというと、上記のような両性性よりも中性性ないし無性性に惹かれる傾向にあるようです。
 なんというか、両性性は個で完結してないじゃないですか。
 本来の性別がある上に異性の外観を付与することで成立する異性装も、男女という基本的なセットになぞらえて作品化される同性愛も、倒錯的、つまりは不安定なわけです(デカダンス好みの方にはそこが魅力なのかもしれませんが、私は太宰とかそういうのはあんまり好きじゃありません)
 しかし、私のキャラクター作りの傾向を知っている方にはバレバレですが、性別が一見不明瞭な人物像を好むようです。
 男女の別が出辛い、敬語などの口調が好きだというのが一番顕著な例でしょうか。
 また、この前書いていた鳥追イの主人公や一角紀における風読も、文脈からは絶対に性別を示す描写が見つからないはずです。
 子供なんかでもそうですね。
 日本古代文学の先生も以前言っていたのですが、少年や少女というのは観念上異性の役割を代行できるのですよ。
 どちらでもある、よりも、どちらでもない、の方に惹かれます。
 ジェンダーやセクシャリティが不在であることによって、しかし個としては完結しているというか……
 希ガスが安定するのと似たような印象を受けるのです。
 手塚漫画で言うなら、リボンの騎士のサファイヤよりもどろろが好き、みたいなところに現れてくる嗜好かもしれません。

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