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 アジア史の授業で、唐代の女性の俑には男装をしたものがあるというお話を聞きました。
 先生は武則天の出現という歴史的事象とからめ、「唐の女性は元気だった」という風に説明なさっていましたが……ううむ、私的にはそればっかりでないような気がしてしまいました。
 男装、あるいは女装というのは(女性解放運動家の男装など社会的批判の意思によるものを別として、とりわけジェンダーが明確であった過去においては)やはりどこか倒錯的なものに思えます。
 白拍子やら歌舞伎やらと同じで、こう、爛熟と退廃を感じさせるというか。
 しかし神話にも異性装の例が多かったりするのは面白いですね。
 そういった意味では、異性装というのは人間が根源的に好むモチーフの一つであるのでしょうか。
 怪しげな成年向けビデオの広告やら二次創作の分野やらで見かける同性愛のモチーフも、同じところに端を発する嗜好なのかもしれません。
 人物を実際の性別そのものでとらえるのでなく、異性装や同性愛といった要素を取り入れることで両性化しているように思えます。
 ギリシャ神話的に言えば、もう一度人間をアンドロギュノスに戻そうとしているということでしょうか。
 自らは異性装者、あるいは同性愛者でないにも関わらずモチーフとしてのそれらを好むという傾向について、どなたか研究してないんでしょうかねえ。
 心理学的にも社会学的にも面白いと思うのですが。。
 まあ、前述の男装俑については、それほどジェンダーが明確ではなかった社会だったのだとも言われてるんですけどね。

 ところで自分自身はというと、上記のような両性性よりも中性性ないし無性性に惹かれる傾向にあるようです。
 なんというか、両性性は個で完結してないじゃないですか。
 本来の性別がある上に異性の外観を付与することで成立する異性装も、男女という基本的なセットになぞらえて作品化される同性愛も、倒錯的、つまりは不安定なわけです(デカダンス好みの方にはそこが魅力なのかもしれませんが、私は太宰とかそういうのはあんまり好きじゃありません)
 しかし、私のキャラクター作りの傾向を知っている方にはバレバレですが、性別が一見不明瞭な人物像を好むようです。
 男女の別が出辛い、敬語などの口調が好きだというのが一番顕著な例でしょうか。
 また、この前書いていた鳥追イの主人公や一角紀における風読も、文脈からは絶対に性別を示す描写が見つからないはずです。
 子供なんかでもそうですね。
 日本古代文学の先生も以前言っていたのですが、少年や少女というのは観念上異性の役割を代行できるのですよ。
 どちらでもある、よりも、どちらでもない、の方に惹かれます。
 ジェンダーやセクシャリティが不在であることによって、しかし個としては完結しているというか……
 希ガスが安定するのと似たような印象を受けるのです。
 手塚漫画で言うなら、リボンの騎士のサファイヤよりもどろろが好き、みたいなところに現れてくる嗜好かもしれません。
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