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 考古学畑の人々は、どうやら物を擬人化する癖があるようです。
 精密機械を指して「こいつは繊細なやつだから」
 なかなか動かないコピー機に対して「どうした、今日は機嫌悪いな?」
 土器や埴輪の欠片といった遺物を示して「この人たちを洗わないと」
 先生曰く「考古学は物を考える学問だから、物を身近に考えているということはとても考古学っぽいことだ」とのことでした。
 なるほど。

 友人も最近辞書にさん付けしてしまうらしいです。考古学っぽい。
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 一角紀のプロット、一番苦戦していた部分がどうにかなりそうでほっとしています。
 私ののプロットの立て方として、短編だろうが中篇だろうがまず「始まり方」と「終わり方」を決めます。
 短編のときは頭で考えるだけなのですが、作中で経過する時間の長い長編は年表的なものも書きます。
 そうして始まりと終わりの間を、いくつかの山場で埋めていくわけですが……
 今回の一角紀ではその間を充填する設定に不備があることを連載開始後に気付きまして(汗)
 全部洗いなおして再構築している、まだ途中なのですが資料をちまちま集めながらどうにかこうにか修正出来そうです。
 道教関連のサイトだとか、いやあマニアックな世界で……(汗)
 一角紀自体の舞台背景とかキャラクターとかは結構昔から考えているものだったりするのですが(舞台背景は高校の初期に友人と遊んでたCRPGが根っこで、キャラクターのうちの何人かに至っては小学生の時から飲んでる薬のある意味擬人化ですしねえ。病気で臥せっている時によっぽど暇だったんでしょうか)、どうやらそれが逆に無意味な固定化を生んでいるようで、ようやく割り切ることが出来ました。
 二視点パラレルで進む話なので、齟齬が出ないように目一杯努力していこうと思います。

 ……というか、次の一角紀の更新でトップ絵変えようと思って描いてからもう半年は経ちますよ。
 絵がカビそうです……_| ̄|○

 外書の時間に聞いた面白いお話です。

 昔々の中世イギリスでは、新石器時代の遺跡の数々は悪魔崇拝の象徴のように思われていたらしいです。
 エーヴベリー(Avebury)もそういった巨石遺跡の一つなのですが(ストーンヘンジと同じ世界遺産です/先生曰く、「焼き鳥でいうとストーンヘンジがタレでエーヴベリーが塩」/どうして焼き鳥なんでしょうかねえ)、十四世紀、ある一人の怪しいおっさんゲフフン!悪魔祓いさんがこの地方を訪れたのだそうです。
 この頃の悪魔祓いという職業は、床屋と医者と悪魔祓いを兼業しているようなものだったとか。
 確かにヨーロッパの方の床屋は簡単な手術を行いますし、中世の宗教概念からいくと医者も悪魔祓いもごっちゃみたいなものですしねえ。
 そんなわけでこのおっさんは早速エーヴベリーにそびえ立つ多くの巨石に目をつけます。
「これは悪魔の仕業に違いない! すぐに人々の目に留まらないようにしなければ!」
 そうはいっても身の丈をはるかに超える馬鹿でかいシロモノです。
 身一つで砕けるわけも無く、持ち運べる筈も無かったので、おっさんは地道に石を下から掘り出し、倒してしまうことにしました。
 しかし……なんということでしょう!
 おっさんは必死で穴を掘るあまり、石の倒れてくる方向を考えることを忘れていたようです。
 あとはお察しの通りです。。
 二十世紀にエーヴベリーの倒れた石を復元した郷土史学者さんが、石の下から彼の骨と遺品を発見したのだとか。
 ハサミ(床屋さんですからね)、ランセット(お医者さんですからね)、コイン三枚(これによっておっさんの生きた時代が分かります/それにしても貧乏だったのでしょうか)などの遺品は、今現在、エーヴベリーの資料館に展示してあるらしいです。
 ていうか、二十世紀になるまで誰も助けてやらなかったんですね……

 トリビア見てますが、工事現場の看板に声を当てようという種、いやあスゴイですね!
 いったいどこからこんな声が出てるんですかねえ。
 アニメーションじゃなくて生身の人間が出してる声だと認識すると、改めてびっくりです。
 名前知ってる人は二人くらいでしたが、キャラクターとして知ってる人は中身はこんな人だったのかと驚いてみたり。
 あれですか、もしかしてスラムダンクの桜木花道の人って無双の真田ですか?
 暑苦しい感じ、聞き覚えが……!

 そういう無双は徳川家康をようやくクリアです。
 一日一話くらいのペースだったので一週間くらいかかりました。
 この調子だと全クリはいつになるのか。。
 シナリオは結構好きです。
 というか、正直西軍よりも東軍のシナリオの方が好きになりました。
 変に押し付けがましい正義が無い分、気持ち良くプレイできます。
 ……いや、だって西軍、どう考えても論理の持って行き方がおかしいですよ。
 抽象的なことを言いはするけれど、現実を見ないというか。
 直江兼続くらいハッキリ可哀想な子だったらまだいいんです。
 石田三成もしばしばイライラさせられるのですが、反抗期の中学生のようなところは嫌いじゃないです。
 問題は、島左近がやたらと気に食わないということで……!
 最初はどうでもよかったんですが、だんだんあの余裕綽々とした口の利き方が癇に障ってきました。
 素直に礼も言えないおっさんなんてダメダメです。
 立花姐さんを見習え!
 家康、歴史人物としては好きじゃないんですけど、ゲームのキャラとしては結構もっともなこと言ってますしね。
 思ったより鈍足でもなく好感触でした。
 無双技から武将吹き飛ばし効果がなくなったらもう少し使いやすいんですけど。

 我が敬愛カニグズバーグ氏の著作の翻訳について、ネット上で大きなムーブメントがあったことを最近知りました。
 03~05年ということで、高校に入ってやたら忙しい毎日を送っていた頃ですので、外側に向ける目が無かったというか。。
 いえ、正確に言えば確かにどこかで耳にした気はするのですが、深く考えるところまでいかなかったというか。
 ともかくもその活動の結果として、「ティーパーティーの謎」「800番への旅」の二作が改訳されたということでした。

 「ティーパーティの謎」はカニグズバーグ氏の作品の中でも更に好きな本だったのですが、それが「改訳」ということで、一体どうなったのかとこの間買ってみたのです。
 しばらく趣味の本を買えていなかったので、漫画やら雑誌やらなにやらと一緒に本屋で散財しまくった結果の産物なのですが(汗)
 結論……断然、新しい方が良い!
 前の版で確かに引っかかっていた部分が消化されていて、読んでいて気持ちが良いのです。
 子供達それぞれの個性や思考、感情の動きが際立っていて、主題の繰り返しという音楽的なこの物語をいっそう魅力的にしているように思います。
 疲れてるとホント涙腺ゆるくなるんですよねえ……もう子供達がみんな良い子で!(涙/何度も読んだ話なんですけれどね)
 こんな孫が欲しいなあと思いながら読んでいました。癒された……!

 児童文学は子供の読むものだ、とは京佐はあまり思いません。
 しかし大人向けの童話、という概念は好きではありません。
 ホントに良い本は、子供の時に読んだ本を、大人になってもずっと読み返していけるもののような気がします。
 ……少なくと私にとっては、ですけれどねえ。
 どうも自己分析してみたところ、おそらく京佐が「小説に感情移入しない」タイプの読み手であることが結構カギになってくるのかもしれません。
 つまり「感情移入できるかどうか」が、あまり物語の評価に反映しないので、子供が主人公だったり彼らの心理状態をトレースしていく物語だったとしても、十二分に楽むことが出来る、ということのようです。
 一人称だったとしても客観視から読んでますしね!
 だから一人称書くのが苦手なんですけどね!
 童話や児童文学は子供の頃だけという方々は、感情移入タイプなのかなあと思ってみたり。
 その辺、どうなんでしょうねえ。

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